Yoshihiro Nishiguchi Yoshihiro Nishiguchi

「どのカメラも綺麗に写るから、同じに見える」——藤岡亜弥さんのトークを聴いて

昨日、写真家・藤岡亜弥さんのトークイベントに参加してきた。聴き終えたいまも、いくつかの言葉が体のなかで反響し続けている。忘れないうちに、そして自分自身の写真のためにも、書き留めておきたい。

いちばん驚いた一言

会場で藤岡さんが口にされた言葉のなかで、私がいちばん驚いたのはこれだった。

「今のカメラはどれも綺麗に写るから、どれも同じように見える」

写真家がこう言う。逆説のようでいて、聴けば聴くほど腑に落ちる指摘だった。技術が行き渡り、誰が撮っても破綻なく美しく写せるようになった。だとすれば、”綺麗さ” はもう写真を差別化する基準ではなくなっている。カメラが技術的な部分をぜんぶ引き受けてくれる時代に、それでもなお写真に残るものがあるとしたら、それはレンズのこちら側にいる人間が何を見て、その一瞬にどう反応したか、でしかない。

薹が立ったリーフレタスの花。葉を食べる野菜が、収穫の時期を過ぎて種へと向かっていく。手前はふわりと柔らかい——狙って整えたのではなく、そこに立ち会った一枚。(撮影:筆者)

昨日、写真家・藤岡亜弥さんのトークイベントに参加してきた。聴き終えたいまも、いくつかの言葉が体のなかで反響し続けている。忘れないうちに、そして自分自身の写真のためにも、書き留めておきたい。

いちばん驚いた一言

会場で藤岡さんが口にされた言葉のなかで、私がいちばん驚いたのはこれだった。

「今のカメラはどれも綺麗に写るから、どれも同じように見える」

写真家がこう言う。逆説のようでいて、聴けば聴くほど腑に落ちる指摘だった。技術が行き渡り、誰が撮っても破綻なく美しく写せるようになった。だとすれば、”綺麗さ” はもう写真を差別化する基準ではなくなっている。カメラが技術的な部分をぜんぶ引き受けてくれる時代に、それでもなお写真に残るものがあるとしたら、それはレンズのこちら側にいる人間が何を見て、その一瞬にどう反応したか、でしかない。

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表紙は、収穫しなかった花 ── はじめてのZINE『献花』ができるまで #2

今日、三つのことが決まった。タイトルと、テーマと、表紙。

前回、写真家としてはじめてのZINEを作る、と書いた。

決めたはいいものの、そこからしばらくは霧の中だった。

何百枚も並べては、これは違う、これも違うと消していく。

撮ることと、一冊にまとめることは、まったく別の作業だと思い知った。

今日、三つのことが決まった。タイトルと、テーマと、表紙。

前回、写真家としてはじめてのZINEを作る、と書いた。

決めたはいいものの、そこからしばらくは霧の中だった。

何百枚も並べては、これは違う、これも違うと消していく。

撮ることと、一冊にまとめることは、まったく別の作業だと思い知った。

撮るのは一瞬の話で、編むのは「何を捨てるか」をひたすら選ぶ話だ。

続きはSubstackにて

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【はじめに】オーディションに落ちた私が、それでも「自然農」の美しさを届けたい理由。

ここからすべてが始まります

はじめまして、西口吉宏です。

今日からこの場所で、新しい写真セクションをスタートします。

まず最初に、私が一番エネルギーを注いでいる「自然農」の畑の写真を1枚、見てください。・・・

続きは→substackへ

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目に見えない「祈りの周波数」を求めて。スリランカ・仏歯寺の記憶

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前回の最初の投稿を読んでくださり、本当にありがとうございました。たくさんの応援、とても励みになりました。

今日お届けしたいのは、私のWebサイトの新しいプロジェクトとして公開したばかりの、スリランカ・キャンディにある『仏歯寺(ぶっしじ)』での記憶です。

続きは→Substackへ

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献花 ―― この一冊が生まれるまで

ここからすべてが始まります

何度通っても、ここは祈りの濃度がちがう。

空気そのものが、人々の手向けてきた祈りで満たされている。

その場に立っていると、自分の輪郭がゆっくりとほどけていくような感覚がある。

続きは→Substackへ

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